足をひきずる人の真似をしてしまう、子供。デリカシーは、もって生まれない。

桑原広徳

2020年11月8日

日常の気付き

大人になってもデリカシーのない人がいる。
しかし、人は生まれながらにデリカシーを備えているわけではない。

私も若い頃からコンプレックスを攻撃(口撃)された経験があり、大勢の前で恥ずかしい思いをさせられた経験は、今でもトラウマになっている。
もっとも、その相手は攻撃という意識すらなかったとは思うが。

私のコンプレックスの一つに、家庭環境があった。
自分の家庭環境を友人の前で公表されたことがあったのだ。
中学生になるタイミングくらいで両親が離婚し、自己破産したことで経済的にも苦しかった。
父は建設会社に勤めながらも、早朝は新聞配達をしており、兄弟も一緒になって父の車に乗って手伝っていたのを覚えている。
私も前職で建設系の会社で仕事をしていたので、副業で新聞配達をする大変さは、今になって分かる。(新聞配達が副業って・・・)
しかし、何よりまずかったのが、親が自己破産するまで、かなり「良い生活」をしていたことである。

確か小学生までは比較的裕福で、四人兄弟だったのだが、誕生日やクリスマスには必ずみんな好きなものを買ってもらえたし、友達を自宅に招いて誕生日パーティーなども開いていた。
周囲にも私の家が裕福っぽいと認知されていたはずである。
それが一気に転落してしまったものだから、目立ってしまった。
自分の努力でなんとかできることであれば、負けず嫌い根性を出して見返せるが、学校で「クワんち、離婚したらしいよー」など言われても何も言い返せなかった歯がゆさはたまらなかった。
それ以来、大勢の前で自分が吊し上げられたり、笑い者にされることに拒否反応が出るようになった。
だからこそ、他人には同じことをしないように心がけるきっかけにもなったのだが・・・。

親の離婚や破産なんてよくある話ではあるが、突然、新築のマイホームに住めなくなり、生活レベルも下がっていったのは、思春期の私に、周囲への強烈な劣等感を植え付けた。

とはいえ、友人も、悪気がなかったのだと思う。
何も考えず、なんとなく周囲に、一つのゴシップというか、ネタを提供しただけである。

子供はそうゆうことがよくある。

私にも4歳になる子供がいるのだが、以前、足をひきずっている歩行者を見て、それをわざとやっていると思ったのか、真似をしてふざけていたことがあった。
もちろん、注意をしたのだが、大人になっても、同じようなことがあるのではないかと、ふと思ったのである。

生まれながらに、デリカシーを持っている人はいない。
親がコンプレックスを攻撃された経験から、他人への配慮を常に心がけるような性格だったっとしても、それが遺伝されるわけではない。

デリカシーは、後天的に、自分で学び、気づいていく性質である。

「お店で騒いではいけない。騒ぐことは恥ずかしい。」
「自分が嫌なことは、人にしてはいけない。」
このようなことを、周りとの生活から失敗もしながら学んでいくのである。
デリカシーとは、「気配り」という意味であるが、相手の現状の心情を察するだけでなく、バックボーンまで思いを巡らせ、言動に気を込めていくことは本当に疲れる。
疲れるのだが、自分のせいで相手が傷つかないか気を込めてこその、人間生活だと思う。

自分はデリカシーがない、相手の気持ちが分からない、口が悪いからと、変に自分をブランディングしている人は、自分は良かったとしても、自分の子供や大切な人に何がダメで、何が良いのかを教えていくのに苦労するかもしれない。

気を込めても、込めても、無意識に相手を傷つけてしまうくらいである。
デリカシーは、自分のためでなく、相手のために、大切な人のために、ある。
それを、「大人未満、子供以上」の人々に伝えたい。